当たり前が当たり前じゃない。

  • ブログをまったく更新していない。多分、普段から考えることを書けばいいだけなのに、いちいちこねくり回したり、考えすぎちゃって自分の中のベストを尽くそうとしすぎているから、結果、書けなくなるのかなあと思う。なので、今日はこれから日本代表の試合が始まるまでの一時間の間に、思ったことをさららっと出していくチャレンジをしたいと思う。なんでもいいから最近の気付き的なものを出していきたい。
  • 能書きばかりだとあれなので、本題に行く。思えばせっかくメモを残してあるのに、メモがメモのまま死んでいくのは切ない。それに普段から自分が当たり前に考えていることって、自分では当たり前になっちゃうから、それを口に出さないままでいるけど、人によっては私が当たり前だと思っていることが当たり前には響かないかもしれない。
  • こんな自分でも、ブログを読んでくれた方から感謝をされることがある。正直嬉しい。普段、家族と話したりすることの中にも自分たちでは常識になっていることが、それを聞いた人にとっては、「うおお」という気付きになっているのかもしれないのだ。
  • 決して自分がすごいとか言いたいわけじゃない。ただ、とにかく口に出してみようと思った。ただそれも何かに対しての感想だったらあんまり面白くないのかなと思う。感想よりも事実ができれば言いたい。しかし、こう書いていて思うのだが、「思ったこと」というのはどんな風に言っても、主観にしかならず、なかなか事実を言うのは難しい。
  • 自分はこう思った、というよりも、物事を客観的に分析したときに表れ出る事実みたいなものを言える、書けるようになりたい。なんか結局これも思ったことになっちゃってるからどうしようもない。諦めて主観を書き続けようかな。
  • このまま書き続けてもだらだらと長くなる予感しかしないので、過去のメモを見返してみる。昨日のメモには、「会う頻度が多いほど親しみが湧く」、「大切に扱われると嬉しい」、「一喜一憂しない」と書いてある。
  • 一昨日のメモには、「やるなと言われてやらなくなるようなことは自分には元々向いていなかったということ。本当にやりたいことは何が起きてもやるはず」、「書けるように書いて、書けないようなやり方は捨てる」、「やった行為をメモにまとめておくと脳内整理しやすい」と書いてある。それとブログの下書きがある。「人生は夢」というタイトル。3000文字近く書いたのにお蔵入りにしてしまった。後で編集して公開し直したい。
  • 会う頻度が多いほど親しみが湧くについて。

  • では、そのメモから順を追っていく。まず、会う頻度が多いほど親しみが湧くについて。これはずばりそのままなんだけど、人はたしか長い時間を一緒に過ごす人に親近感を湧くようになるらしい。これだけ書くと当たり前な感じもするけれど、やっぱりそうだなと思う。家族とか典型かもしれない。本来、家族は赤の他人なのに、同じ時間を長く同じ屋根の下で過ごしているという理由だけで、強烈な繋がりを感じる。逆にそれが呪縛になって、べったりと依存してしまうこともある。
  • 前に2ちゃんねるの創始者のひろゆきさんが言っていたのだけど、職場で出世をしたいのなら上司に好かれるのが一番だと言っていた。だから、サービス残業を二時間すれば出世するとかは嘘で、本来、自分の上司が求めることをやれば出世するということだった。上司が残業を求めるなら、残業をすれば評価されるし、飲みに付き合うことで評価されるなら、飲みに付き合うこと。そして、すべてに共通するのが一緒にいる時間を増やすということ。人は同じ時間を長く過ごすほどに相手に対して愛着が湧く。もしも、仲良くなりたい人がいるのなら、同じ時間を過ごすということが何よりも効能があると思う。
  • 大切に扱われると嬉しいについて。

  • 次は大切に扱われると嬉しいについて。これもシンプル。大切にされれば誰だって嬉しい。乱暴に扱われれば(よほどのMでない限り)、嫌だと思う。自分はこれを考えると、大切に扱われたいというより、大切に扱いたいという気持ちのほうが勝った。特に近しい間柄に人は何でも許してくれちゃうから、一定の距離感を保ち続けている人には言わないような言葉も平気で言っちゃったりする。ちょっと攻撃的になって、XXみたいなとこあるよねみたいなことを言っちゃう。親しき仲にも礼儀ありという言葉が好きなんだけど、自分の人間性みたいなものはもっとも仲の良い人に対して出ると思う。
  • たとえば恋人に対しての態度はまさに人間性が出そうだなと思う。家族に対しての態度も同じだと思う。自分と繋がりの深い人間に対しての態度が自分の人間性を表している予感がする。そんな人はだめ、みたいな善悪の話というよりは、あくまで人間性の色の話。人を大切に扱える人は自分のことも大切に扱える人だと思う。自分を大切に扱えば、他人も大切に扱えるようになると思う。
  • そういえば、愛のある厳しさというものについて昨日考えていた。愛のある厳しさというものは何なのか。最初は、厳しさというのは必ず正義心から来るものだと思い、正義心というのは善悪が基準になっているから、愛とは反対だと思った。愛とはすべてに赦しを与える感じで、厳しさとは許しを与えないイメージがある。だから、厳しさのある愛は矛盾しているようで、そんなものは存在し得ないと思った。
  • でも、「その人が本当は求めているもの」を与えることが愛なのではないかと思った。やばい、ここまで書いていて30分経ってしまった。取り急ぎ書き続けたい。それで思ったのは、本当はきつく叱ってほしいと思っている人も存在するということで、そういう人には、愛のイメージである優しさみたいなものを届けて、多分、響かない。本当は求めているものは厳しさだからだ。そういう人に対しては、ちゃんと叱ってあげるという行為を通じて愛を与えられる。バカヤロー!と言ってほしい人にバカヤロー!と言ってあげるのは愛な気がするのだ。こう考えれば、愛のある厳しさは存在するということになる。
  • 一喜一憂しないについて。

  • それにしてもこうやって書いていくと自分でもそれについて掘り下げられるから、ブログを更新するという目的を達成する以上に見返りがある気がする。と、そんなこと書いてる場合じゃない、時間がない。一喜一憂しないというのも超絶シンプルだ。たとえば、ゲームをやっている。そのパフォーマンスを左右するのは感情面だと思う。FPSという銃で攻撃し合うゲームジャンルがあるのですが、仲間が作戦を失敗したり、自分の操作しているキャラが死んだときにボイスチャットなどで舌打ちをする人がいるとチーム全体の指揮が下がると聞いたことがある。それと、たしか為末大さんが昔言っていたはずなのですが、けん玉をやり続けるという研究で、途中、失敗をするたびに落ち込む人は、たんたんとやり続ける人に比べて諦めるのが早かったそうです。これは何事についても言えるのかなと思うけど、一喜一憂するとそのたびにスタミナを消耗する。ゲームとかでも失敗するたびにため息をついていたら、その後のプレイに影響する。だから、人とのコミュニケーションや、その他いろんなことについて、一喜一憂しないでいることはとても重要なことなのではないかなと思いました。
  • やるなと言われてやらなくなるようなことは自分には元々向いていなかったということ。本当にやりたいことは何が起きてもやるはずについて。

  • 後20分死ぬ。これはなんでメモったのか忘れてしまった。たしかイメージとしては夢を追いかける人がたとえばミュージシャンを目指している人が親に反対される。それでその志を諦める、そんな熱量なら最初から向いていなかったことではないかなと思った。たとえば自分は、あることを「やりたい」と口に出してみることがある。しかし、それを言った後で周りの反応が悪いとやる気を失う。何ならもっとちやほやしてくれれば、もっとやる気を出したのにとさえ薄っすら思う。我ながら浅はかだなと思うが、結局のところ、周りの意見を気にして簡単に諦めるというのは元々向いていない証明になるのではないかなと。もしも本当にやりたいことだったら、がむしゃらになってもうすでにやっていると思う。そもそもで本当にやりたいこなら、やる気を出す、その必要性さえない。だって、元々やりたいことなのに、わざわざやる気を出す必要がない。やる気を出そうなんて思わなくともブーストがかかるのが、自分にとって本当にやりたいということだと思う。
  • 書けるように書いて、書けないようなやり方は捨てるについて。

  • なんかメモなので変な文になっている気がするが気にしない。多分、これはブログを書けないときに思ったことだと思う。今日は書けてる。から、このやり方でやるべきなんだと思う。とにかく書いてみて、それで書けるようだったら、そのやり方が向いてる。けど、頭ばかりで考えてなかなか筆が進まないのなら、書くことがないというよりは、書き方を工夫してみるというのがいいのかなと思った。
  • やった行為をメモにまとめておくと脳内整理しやすいについて。

  • まさに今これをやっている気がする。ブログを更新しようと思うと重い腰を上げるみたいなときがあってしまうのだけど、それは更新を目的にするからしんどくなる。単純に、メモを残すように、その閃きを掘り下げるように、ノートにメモを残しておくように書けばやりやすい。最初のほうに触れた気がするけど、こうしてまとめたり、普通にプライベートなメモでもきちんと残しておくことで後で役立つのはもちろん脳内整理もしやすくなる。メモをする習慣は身につけていきたいなと思う。閃きをメモする、たとえそれが一行だったとしても結果的に後で広げることもできるし、もうその一行それ自体が突拍子もないアイデアにも繋がったりするのかなあと思う。もしかしたら、メモそのものがもう立派な閃きなのかもしれない。閃きだからこそ残そうと思うわけだ。
  • ということで、残り7分!書けました!褒めてください!誰も見てないかもしれないけど、一人で叫びます!やりました!しかし、これ下書きなのでレイアウト考えてブログに公開するまでに後5分かかるかなあ。でも間に合った!