くそざっきその5 〜マウンティングはダサい編〜

前回のくそざっきでは、夢について書いた。そういえば、眠る前に考えていたことは明日に引き継ぐという。そんな訳で、最近、睡眠導入剤としていいなと思った動画を貼り付けておきたい。

youtu.be

パパジことプンジャジさんだ。知る人ぞ知るラマナ・マハルシの弟子である。悟りの何たるかはここで全て語られているような気がする。ので、ぜひお暇があったら観てもらいたいと思う。

ちなみに寝る前に瞑想するとびっくりするくらい気持ちよく眠れるのでおすすめだ。

マウンティングはダサい。

日々いろんなことを思ってしまう。から、全部動画に残したいなと思ってくる。けれど、話をしてもまとまらない気がするので、こう何とかして文章にしたい。

この前、オードリーの若林さんの記事が拡散されており、記事のタイトルに「マウンティングがダサいという時代が来る」的なことが書かれていた。

記事を読んでないので内容には触れられないけれども、その言葉を見て、私は「マウンティングがダサいのは当たり前やん」と思った。

個人的に、ある日を境に多くの人たちとコミュニケーションをとる機会に恵まれたのだけど、幾分、私の育った環境や、特殊な家庭事情になどを知らない人からは(見た目が華奢なのもあってか)マウントをとられることはあった。

ibaya.hatenablog.com

引きこもりから脱出してまだ間もないころ、会って二回目くらいの人から、「まだ働いてないの?」と小馬鹿にした口調でからかわれたことがある。なんというか酔った勢いで絡んでくるような下品さというか、マウントをとってくる感じが当時はものすごく嫌だった。

自分は働いているから偉いと思っているのかな?と思った。嫌味な言い方にならないように気を付けるけれど、〇〇をする自分は偉いとなると、〇〇をしない自分はだめだということになる。

究極的には、生きているだけでいいということを思い出すこと。これが大事なのだと思う。そうすれば何があっても罪悪感に苛まれることはなくなり、生きやすさも覚えることができるだろう。もっとテキトーに生きていいということ。何もしないままでもいい。どんな状況であれ、この世でまだやり残していることがあるから生かされている。他人の生き方をグチグチ言うよりも、自分の生き方のほうに集中し、誠実に生きること。

世の中には、さりげないマウンティングが多い。この前、バラエティ番組をたまたま観たときに、ある出演者が他の共演者に向かって、「そんなことも教えなくちゃならないの?」的な発言をしていた。私は、それを見て、「知ってて当然でしょ」というマウンティングもあるんだなと思った。

知識がないことはいけないことじゃない。知識がないことよりもよっぽど、「こんなことも知らないの?知ってて当然でしょ」というマウンティングのほうがはるかにダサいなと思う。

話は変わるけど、そういえばこの前思ったことがある。それは、「あれ俺誰にも責められてない」ということだった。

無職だとどうしても生きづらさを抱えることがある。大学生とか羨ましい。その肩書きがあったら何でも許される気がする。別になりたい訳ではないけれど、会社員とかもいい。今まで人生で一度も肩書きというものに守られたことがないので、自分を紹介するときに〇〇してますと言えるのは楽そうでいい。

しかし、よく考えてみると生きづらさを抱えることは死ぬほどあるが、現時点で俺は誰にも責められていないどころか、手放しで褒められていることのほうがはるかに多いなと気付いた。

思う。衣食住があって、誰にも責められていない時点で相当恵まれているなと。これは誠心誠意、享受するしかない。しかも、土下座して感謝したくなるくらいのお言葉をいただくこともある。

ネガティブなイメージのほうに流されるとつい自分を見失ってしまって、今ある有難さみたいなものをいとも簡単に忘れてしまう。気をつけないといけないなと思う。

自分は恵まれているなということ。マウンティングを跳ね返す力があるということ。自由もあれば力もあるということ。ポジティブな言葉を自分に語りかけたいというより、ただ事実として、そういうことだということ。誰かをマウンティングすることによって、ではなく、ただあるがままの自分に誇りを持つということ。

多分、マウントをとろうとする人は自分のことを受け入れられていない。だから、誰かより優れているという感覚を持ち続けないと死んでしまう。でも、本当は何もなくても生きていけるのだということを思い出せば、きっと、いや必ず、幸せに生きていくことができるだろう。最近はそういうようなことを思いながら生きている。

さて、今日のご飯は牡蠣入り豆乳味噌鍋だ!