くそざっきその2 ゲーム〜失敗 イズ ライフ編〜

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この『くそざっき』というタイトル、実はかの伝説のフリーゲーム『ゆめにっき』をもじっているということは誰も知る由はなかろう。

ゲームか。年を重ねるごとにどんどんと興味が薄れてきてしまっている。「廃人かよ!」というくらいにオンラインゲームにのめり込んでいた時期もあったのに。敵キャラに銃で頭をぶち抜かれれば、コウメ太夫ばりに「ちっきしょー!!」と鼻息荒くヒンヒンしていたというのに。

今でもまだまだ面白いゲームがあれば弟と一緒にできればとも思うし、ゲームに対する興味みたいなものは失っていないのだけど。でも、今は気になるゲームがあっても、そのゲームの実況動画を観ちゃえば満足しちゃう。

なんだろうな、もしかしたら最近は人生という名のゲームをプレイしているのかもしれないなと思う。

ゲームと人生って似ている。そんな気がする。

糸井重里さんが前にこのようなことを言っていた。

「ゴールを切る達成感の中にライフがあるんじゃない、道中だよ、道中 イズ ライフだよ」

まさに、と思う。さすが糸井さん。だてにMOTHERシリーズのゲームデザインをしたわけじゃない。ゲームの醍醐味を知っている人だからこその格言とでも言おうか。

失敗 イズ ライフ

ゲームは失敗がつきものだ。マリオがクリボーに当たれば初めからやり直し。何度も繰り返しチャレンジし、その過程で上達していく。そのプロセスが楽しかったりする。

人生も同じだと思う。でも、人生のほうが失敗へのリスクがある(と思ってしまう)。その分、失敗することを恐れる。が、本当は失敗してなんぼだと思う。

道中 イズ ライフ。この言葉を少し言い換えると、失敗 イズ ライフ。何度だって失敗したっていいじゃないかと思う。

マリオがゴールフラッグに向かってジャンプ!クリア!この瞬間だけがプレイの目的じゃない。マリオが穴に落ちて、「うわぁ〜!やっちまった!」となる瞬間もそれはそれで楽しいんだ。

失敗も含めてのゴールの達成感。人生もゲームも、結果だけを求めると疲れてくると思う。勝つことだけに執着すると、肝心の今を見失う。自分のミスが許せなくなる。ミスした!という感情にとらわれてしまって次の一歩を踏み出せなくなる。

失敗にとらわれたり、失敗が怖くて次に行けないとしたら、失敗の先にある喜びさえ失ってしまうことになる。多分、人間はいくらでも失敗をしてもいい生き物のはずだ。失敗を許さないのは人間の心だ。ミスが許されないなんて超絶息苦しい。もしも、そんな環境があったとしたら、間違っているのは環境のほうだ。ミスができなければ経験も積めない。ゲームだってミスが何度でもできるから楽しいし上達もする。

ゲームにはリセットボタンがあって、人生にはないかもしれない。でも、不思議と私の場合、自分の人生で失敗したと思ったことを取り消したいとは思わない。失敗したからといって人生が終わるわけじゃないし、どんなに盛大に転んだとしても人生はどこまでも続いていく。それならば、失敗した自分を責めるのではなく、むしろそれを糧にしたいと思う。失敗は自分を貶めるものではなく、人生とは何かを知らせてくれる鐘だ。

失敗してもいい。そう思えれば怖くない。多分、唯一の失敗は、自分に失敗することを許さないことだ。だから、許そう。失敗することを。