認められない自分でも求められない自分でも、やる。

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なんというか何をやってもうまくいかないなと思ってしまいます。みっつです。こうして文章を書いたりすることが誰かの役に立っているのだろうかと不安になってしまうことがあります。それに人との付き合いの中でも、「おれはひとを不幸にさせているのではないだろうか」と自分を責めてしまうこともあります。

自分を責めることに慣れてしまうと、どうやら人間不信になるらしく、しばしば私のような性質の人間は自分の殻に閉じこもることで安心感を見つけようとします。

しかし、自分の殻の中は噴火寸前の火山といった装いで、まるでマグマの中にいるような感覚になります。もやもやとしたエネルギーが出どころを失い、今にも得体の知れないエネルギーみたいなものが爆発しそうになります。

そんな時に私は人に話を聞いてもらったり、趣味に没頭することで憂さを晴らそうとします。が、しかし、憂さ晴らしがうまくできないと最終的に思うのは「おれはくそだなー」です。

やはりまだ20代男子ということもあってか、表向きにはかっこつけようとします。「認められなくてもやる、求められなくてもやる。」みたいなかっこつけたフレーズを言ってドヤ顔しようとします。

しかし、内心は「こんなこと言ったら変に思われるんじゃないか」という恐怖に支配されています。何を言っても、「自分は嫌われるかもしれない」とビビっています。

何が「認められなくてもやる、だよ。めっちゃ認められたがっているじゃないか!」と更に自分に追い打ちをかけ、次第に「いやまてよ、『自分は嫌われている』とか、そういうのは自分の傲慢さからくる思い込みなのではないか」と、最終的には収拾がつかなくなった頭を抱え、「アアーッワーッ!!」と、のたうち回ります。

共感されたい。その弱さが私を支配し、常に周りを「いいねしてちょ」とチラ見にチラ見を内心繰り返しています。そんな自分を、擁護する自分と批判する自分がいます。

擁護派の自分は「おけおけ、みんなで承認欲求を満たし合えばいいじゃないか」と言い、批判派の自分は「お前はくそだな!!」と言っています。

この文章を書いている今も結局何が言いたいのかよくわからずに書いているので、「おれはいったい何を書いているんだ!!」とこの前落っことして画面を割ってしまったスマホで自分の頭をかち割りたくなります。

「誰かのために」じゃなくて「自分のために」やる。

このままだと超ネガティブなうんこみたいなアウトプットになりそうです。いや、いつもそうか。人間は放っておくとネガティブな方向へ流されると聞いたことがあります。できれば、この記事だけはポジティブに締めたい。

認められるためにやると認められなかった場合は落ちる。求められるためにやると求められなかった場合に落ちる。それなら、誰からも認められなくてもやる、求められなくてもやる。理由は、ない。

共感を求めること、いいねされて気持ちよくなりたいこと、それらは自分のためにやっているようで、実際は誰かのためにやっているという前提の名のもとに成り立つ(と思う)。

誰かのためにやっていると「やってあげたのに!」となってしまい、見返りがなかった場合に、逆ギレしてしまう。感謝されたくなってしまう。そのままだと苦しい。それなら、自分のためにやっていると腹を決める。見返りはなくてもいい、なぜなら「この行為そのものが自分のためになっているから」だ。(ドヤァァァ!!!)

自分のやっていることが運良く誰かのためになったら万々歳。そう思えたなら、誰かに認められた時も、「嬉しい」と素直に思える。自分がやってあげたことに対するリターンだとは思わなくなる。

自分をこじらせてしまった私は、ついつい承認されたくなり、意識的にしろ無意識的にしろ、認められることを目的に何かをやることがある。しかし、その場合、認められないと自暴自棄になってしまう。

「認められたら嬉しい、でも、認められなくても平気♪」でいたいはずが、「認められるのは当たり前、認められなかったら超絶悲しみ泣」となる。

SNSで一つのいいねに一喜一憂したり、フォロワーを増やすことを目的にする(承認欲求を満たそうとする)と、私は精神を病む傾向にあるので、きれいごとだとしても、自分は「認められなくてもやる、求められなくてもやる精神」でこれからを乗り切っていきたいと思う。

 

今日は最高に天気がいいのに、相変わらず室内にこもってこんな駄文を書いてしまった。「鬱病は太陽に当たると治る」と勝手に思っている節があるので、いかんせんつらくなったときは「まずは太陽に当たれ」と自分に言い聞かせながら、重い腰をあげて外へ散歩にでも行こう。