哀れみなんか欲しくない

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最近思う。モテることばかりを考えるから行動が鈍ると。承認されたいという気持ちが上回って、いちいち自分のやることなすことに良し悪しのレッテルを貼り付けてしまう。

なんでもいいじゃないか、と思う。別に神様は自分のやることに文句をつけたりしないじゃないかと。それじゃ、いったい誰が自分のやることを邪魔しているのか。

自分自身だと思う。人に褒められることを基準に動くと、いつの間にかに自分を見失う。自分のほんとうにやりたいことができなくなる。

ある人に気に入られたいからとその人を基準に自分の行動を決めると肝心の自分が満たせなくなる。というか病む。というかその人を失いたくないからと愛想を良くしなければ付き合えない仲ならいっそのことそんな関係やめちまえよと思う。

ずっと自分と一緒にいてくれる人は、自分の弱さも何もかも包み込んでくれる人だと思う。ほんとうに心から思ったことを伝え合える関係性にしか未来はない。

中途半端な未練を捨てることだと思う。どんなに好きな相手がいたとしても、自分のやるべきことはこっちだと思ったら迷いなくそちらに進んでいくことだと思う。その結果、離れ離れになるならしょうがない。

誰よりも自分自身を尊重すること。

ひとに気ばかりを使って、肝心の自分が満たせなくなるということは、端的に言って、自分自身を尊重していない証拠だろう。

私はたまに「自信を持って」と言われることがある。多分、自信がないように見えるのだろう。自分では自分に自信がなきゃこんな生活してませんよとも思うが、相手にどう思われるかは自分自身では決められないので仕方ない。謙遜を自信のなさと一緒くたにされているのかもしれない。

今の自分にできることはたった一つ。自分を出し、自分をわからせに行くことだ。たとえ相手に理解されなくても構わない。俺は俺だ、俺はこういう人間だ、不快だったならごめんなさい、さようなら。そう言うことしかできない。

今まで自分をわからせに行くこと、自分自身を尊重することをめちゃめちゃおろそかにしてきたのではないかと思う。今この瞬間から急に人間が変わるとも思えないが、たとえ腹立たしいことがあったとしても、この自分を尊重するためには自分を出していかないといけない。

お前は可哀想じゃないから安心しろ。

自分の生まれ育った境遇の影響は計り知れない。しかし、そこにしがみついて常に「苦しい、苦しいよ」と言っていても何も進展しない。だめだったらだめで、まずはどんどんやってみること。

自分のことを可哀想だ、もっと大切にしてもらわなきゃ困ると思うなら、自分が自分をもっと尊重する以外にないと思う。

私は自分の身の回りの人が自分の生い立ちをある程度知ってくれているからこそ、露骨に何かを言われることはなかったが、それでもこうなんとも言えない「可哀想な子ね感」を感じることはなくはなかった。

ものすごくありがたいと思えることもたくさんあったけれど、そんな哀れみを感じるとき「俺はもしかして哀れな子!?」と思ってしまうような場面もあった。もしこれで私が自分を哀れな子なんですと演じでもし始めたらかなりやばいんじゃないかと思う。

自分に言ってやりたい。お前は可哀想じゃないから安心しろ。余裕でできる子なんだから安心しろ。誰にも邪魔されないから安心しろ。自分で自分を貫け。負けるな。お前は可哀想じゃない。自分の言いたいことを言い、自分のやりたいことをやれ。それで邪魔してくる奴がいるなら上手いことかわせ。大変なのはお前だけじゃない。クズどもに負けるな、お前は最高だ。